説教要旨

左欄(タイトル) 説教記録下の「会員ページ」は創立から現在までの写真(フォトアルバム)を載せています。「閲覧」には「パスワード」が必要です。希望者は管理者に申し出ください。

913日 説 教―             牧師 山中 臨在

       「白髪は輝く冠」 箴言16:3133

老いることは苦しみだと教える宗教もあるようですが、聖書は全く違う価値観を語ります。老いることは素晴らしい、白髪は絶望の象徴ではなく、むしろ神様から与えられる輝く冠、勲章だというのです。この世の価値観では、いかに成績が良く、いかにお金を稼ぎ、いかに生産性が高いかという、目に見える高い数字が評価されます。逆に言うと、数字が低い人ほど価値がない、と思われやすいのです。しかし何かを「する」価値観ではなく、神を信じ神に愛されていることを証しするためにそこに生かされて「存在する」価値観を神様は尊んでおられます。

私たちの教会の高齢者の方々はその存在だけで私たちにメッセージを伝えています。何よりも主日礼拝を第一とし、週日は主の日にすべての照準を合わせて体調を整えておられ、精一杯献金を捧げておられます。命がけで主日礼拝を捧げておられるのです。この世の数字的な評価は高くないかもしれないけれど、主に愛され主を愛するために存在していることがこんなにも大きなメッセージを伝え神様から最高の評価をもらっています。存在の価値観は高齢者だけではありません。ここにいるすべての人の存在を主は喜ばれ「あなたは存在するだけで私には尊い」と言って私たちを愛してくださっています。「忍耐は力の強さにまさる。自制の力は町を占領するにまさる」(32)と聖書は言います。忍耐するとは、ある意味何もしないことです。何もしないことは、町を占領するほどの大きな力よりすばらしい、と神様は言うのです。ただひたすらに神を愛する存在でいることを神様は喜ばれます。

 歳をとると何かを失うことが多くなります。しかし聖書は、失う恵みを語ります。今まで自分の存在価値として支えにしてきていた、自分の若さも力もお金も名誉も段々失っていく時、自分を生かす本当の支え、本当に必要な物は何か、それを知るチャンスが与えられているのです。「必要なことはただ一つだけである」(ルカ10:42)とイエス様は仰います。私たちに必要なものはただみ言葉です。神を信じる信仰です。31節の言葉「神に従う道に見いだされる」は、「神の前に正しい道を歩むならば、主はあなたの存在を尊んでくださる。」ということです。神様の道を歩んで神様から冠をいただく、それはこの世の冠を失って得られる恵みです。

 

私たちは永遠の命の希望をいただいています。その希望は私たちの先にあります。その希望に向かって前進していきたいのです。この世の冠を振り返ってもその希望は得られません。振り返ることがあるとすれば、それは神様が下さった大きな恵みに対してです。あなたの存在が輝く冠だと言って下さる神様の道を歩き続けましょう。

 

96日 説 教―         牧師 山中 臨在   

   「 ストレス 」 イザヤ書30:1518

 私たちの生活は多かれ少なかれストレスに取り囲まれているのではないでしょうか。そんな私たちに聖書は語ります、「お前たちは、立ち帰って静かにしなさい」(15)と。テレビが壊れたら叩いて直そうとする人がいますが、叩いて一瞬直った気がしても結局はすぐに壊れてしまいます。機械を修理しようと思ったら、その機械を一旦止めて、機械を作った人に修理してもらうのが一番確実です。聖書はこのことを言っているのです。私たちがストレスのために壊れてしまった時は、静かにして、私たちを作った人、全能の神様の所に帰って神様に修理してもらう必要があります。私たちはストレスがあったり痛みがあったりしても自分の力で直そうと必死で頑張ります。休めと言われても休まず頑張ろうとし、造り主の修理を待たずに自分で「馬に乗って逃げよう」「速い馬に乗ろう」(16)などとして、結果的に間違った修理をしてしまいます。だから結局直らず、必要な力が入らないのです。勿論努力をすることは素晴らしいことだし必要なことだとも言えます。しかし人生には、自分にはコントロール不能な出来事が襲ってきます。その時にはもがいて抵抗するのではなく、まず造り主のもとに行って、神様に壊れた自分を見てもらい、神様の適切な言葉に聞いて修理してもらわなければなりません。「安らかに信頼していることにこそ力がある」(15)と主が言われているように、神を信頼することによって必要な回復の力が与えられるのです。

 ストレスとは、正常な人生の営みに不必要な力が加えられてひずみが起こることです。不必要な力は私たちに痛みと苦しみを与えます。けれどそれを直してくださることのできる唯一のお方の存在に気づき委ねることのできる絶好のチャンスでもあります。

先週の日曜日、体調が万全でなくあまり元気でなかった私でしたが、礼拝を終えた時には信じられないほどの力が与えられていました。皆さんの顔、メッセージ、祈り、賛美・・・。他のことを一切脇に置いて神様に集中することが出来たときに、なぜだかわからないけれど力が与えられ、「安らかに信頼していることにこそ力がある」(15)というみ言葉が真実であることを知りました。ストレスを与え、人生に痛みを与える神様ですが、それが目的ではありません。神様は「恵みを与えようとし、憐れみを与えようとして」(18)おられる方なのです。礼拝は私たちが主に立ち帰る時です。壊れた自分を神様に修理していただく時です。だから一週間壊れても大丈夫。主のもとに帰って来ましょう。