説教要旨

―5月17日 説教―       牧師 山中 臨在

      「信仰の緊急事態宣言」

     マタイによる福音書28:1~10

イエス様が十字架にかかって三日目の朝、マグダラのマリアたちは墓を見に行きました。すると主の天使が天から降って来て、「イエスは復活した」と告げました。それは思いがけず良い知らせでしたが、自分の目の前でイエス様は死なれましたから、にわかに信じられず素直に喜べない状況です。そんなマリアたちに天使は「急いで行って、イエスが復活したことを伝えなさい」と言います。私たちの罪が赦され、その罪を背負って十字架に命を投げ出すほどに神様は私たちを愛しておられる、それはとても良い知らせだったけれど、更に死んだイエス様が復活なさった、私たちに永遠の命の希望が与えられ、失望は希望に変えられることが示されたことは、信仰の根幹をなす喜びの知らせです。この喜びの知らせは真実であり、急いで伝えられなければならないことを、聖書は私たちに教えているのです。疑いがあっても恐れがあったとしても、「愛の主は今も生きておられる」という知らせを緊急に伝えよと主はお命じになるのです。私たちは今、緊急事態宣言の下に置かれています。この宣言が出されるまでに様々な状況を検討し協議されたことでしょう。けれど神様の緊急事態宣言は、私たちの時が良いとか悪いとかの状況を見極め十分議論してから福音を宣べ伝えなさい、とは言わないのです。あなたの都合ではなく神様の緊急事態宣言が出たら急いで伝えなさい、と私たちに迫っています。

 6節で、天使は女性たちに「かねて言われていたとおり、復活なさった」と言っています。イエス様の復活は驚くべき一大事ですが、実はイエス様御自身が何度も弟子や人々に預言していたことなのです。それにも関わらず、人々は信じず心に受け止めていなかったのでしょう。これは今の私たちの姿でもあります。み言葉はいつも与えられているのに、私たちはいかにそれを聞いていないか、いかに受け止めていないのか、ということを思わされます。そしてこれこそが一大事、緊急事態です。福音を聞いたなら、すぐにそれを受け止めすぐに伝えなければならないのです。

 ところで、政府の緊急事態宣言は国民の一人一人がそれを自分の事柄として受け止め、外出自粛などを実行しなければ効果がありません。主の信仰の緊急事態宣言も、それを聞いた私たちが応答してそれを実行しなければ、福音宣教のわざになりません。福音を伝える役目はすべての人に委ねられています。

緊急事態宣言は人を救うために出されます。自分が神の目に価値ある存在であること、それほどまでに自分が愛されていること、赦されていること、永遠の命の希望が与えられていること、その希望はわたしたちを欺くことがないことを知らずに、希望が見出せず絶望の淵をさまよう人が多くおられます。神様からの喜びの知らせがすぐに与えられなければ失われる魂がたくさんあります。急いで福音を伝えましょう。

 

 

 

510日 説教 ―         牧師 山中 臨在

「ロックダウン」  ガラテヤの信徒への手紙5:1626

今日のメッセージのポイントは、罪をロックダウンしましょう、罪を封じ込めましょう、ということです。罪は肉の業であり(19)、「キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につける」(24)と聖書は語ります。罪を死なせる、罪を消し去るということです。しかし肉体を持っている私たちには肉の欲求があり、それを完全に消し去ることはできません。

人がコロナウイルスに感染しないためには、自らロックダウンして外出しなければいいのですが、しかし肉を持っている私たちが生きていくためには、外出しないわけにはいきません。生活に必要な買い物に出かけます。そのために必要なお金を得るために仕事に行き、電車やバスにも乗るでしょう。そこで政府や自治体は、ウイルス対策と経済対策を、バランスを取りながら両立させよう、両方やっていこうと一所懸命にやっておられます。そういう意味では真の意味でのロックダウンはできないのでしょう。

 では信仰生活も、肉の業と霊的な事柄を、バランスを取りながら、両方うまくやっていこう、と私たちは思うでしょうか。聖書はそう言わないのです。「肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反する・・・霊と肉とが対立し合っている」(17)と言っています。肉の業と霊の働きは両立しないと言うのです。そして罪、即ち肉の業を行う者は「神の国を受け継ぐことはできません」(21)と迫ります。肉なる部分を完全に断ち切れない私たちには厳しい言葉です。

だからこそ、罪をロックダウンする必要があります。ロックダウンは、そこに存在するものを、外に出て行かないように封じ込めることです。罪があるなら、肉の思いを消せないなら、それを封じ込めるのです。肉の業が外に出て行く道を塞ぐのです。病院には陰圧室という部屋があります。中の気圧を外の気圧より低くすることで、中にあるウイルスや細菌が外に出て行かないように作られた部屋のことです。肉の業をロックダウンするためには、肉の部屋を陰圧することが大切です。逆に言うと、聖霊の圧力を肉の圧力よりもうんと高くするのです。これが、聖霊の導きに従う(16, 25)ことです。では聖霊の導きに従うとはどういうことでしょう? それはみことばに聞くことです。そして祈ることです。私たちの努力や行いによって罪を封じ込めることは残念ながらできません。常に神様の言葉に聞き、祈りによって神様からの語りかけに耳を傾けることがなければ、聖霊の導きに従うことはできないのです。教会に集えない日々が続く今こそ、私たちはみ言葉に聞き、祈りに専心し、25節に書かれているように、聖霊の導きに従って、肉の思いをロックダウンする道に向かって前進しましょう。

 

53日 説 教―            牧師 山中 臨在

 「罪のウイルス」  ローマ信徒への手紙6:1223

今日の箇所には、奴隷、罪、義、という言葉が繰り返し出てきます。奴隷という言葉は元来、主人に服従する者、そして主人に命を守られる者、という意味です。私たちは誰を主人にするか、誰の奴隷として生きるかということが問われています。聖書はここで、罪の奴隷ではなく、義の奴隷として義に仕えて生きなさい、と語っているのです。「神様に束縛されて、折角の日曜日に教会に行って礼拝するなんて不自由だ」と世間は思うかもしれません。しかし義に束縛されないで勝手気ままに生きることは、自由なのではなく、罪の奴隷状態にあるということです。義には束縛されないが、罪に束縛されてしまっているのです。

 私たちは今、新型コロナウイルスの恐ろしさを思い知らされています。ウイルスは人体に侵入して、隙あらば危害を加えようとしているのです。体に特に異常を感じないと、ウイルスが自分の中に潜んでいるということにすら気がつかないこともあるのです。

 人間には罪のウイルスが侵入しています。普段は気がつかずにいるけれど、高慢、怒り、自己中心、ねたみ、そんな要素と相まって隙あらば人間に罪を犯させようとします。この罪のウイルスを主人としてしまうと罪の奴隷となり、一見自由のようだけれど、ウイルスにやられた時には非常に大きな苦しみにあいます。罪のウイルスを退けるためには治療が必要です。私たちの努力や頑張りだけでは罪から解放されません。その治療のためにイエス・キリストが来られ、私たちの罪のウイルスを一身に受けて下さったのです。私たちの中に罪のウイルスが潜んでいる時に、イエス様の言葉を同時に体内に宿らせなければ、そのウイルスが拡大し私たちを罪の奴隷としてしまいます。

 ロッククライミングをする時、命綱をつけます。綱がつけられるのは一見不自由そうですが、その綱のおかげで人は自由に動き回ることができます。でもこの命綱がないと死んでしまいます。主が私たちに与えて下さる自由もこれと同じです。イエス様という命綱に繋がっていることによって私たちは安心して行きたい所に行けます。もしイエス様という命綱につながっていないと、一見自由そうですが、罪の道を好き勝手に歩み命を落としてしまいます。これが「罪が支払う報酬は死です」(23節)と言われていることです。主人であるイエス様は私たちが信頼して委ねた時に、私たちの信頼にこたえて私たちを守って下さいます。だから私たちは安心して自由になれるのです。

 罪のウイルスに打ち勝つように、たえずみ言葉を私たちの内に宿らせておきたいものです。「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい」

                 (コロサイ3:16